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山口地方裁判所 昭和30年(行モ)1号 決定

申立人 李勝子 外一名

被申立人 下関入国管理事務所主任審査官

主文

被申立人が昭和二十九年七月十四日附をもつて申立人等を出入国管理令第二十四条第一号該当者として申立人等に対して発布した退去強制令書に基く執行中収容を除き、送還のみを本案判決が確定するに至るまでこれを停止する。

理由

本件申立事由の要旨は

「申立人李勝子は昭和十七年に、同李秀子は昭和十九年にいづれも呉市本通り九丁目十二番地において父李炳国、母李占奇の子(長女及二女)として出生したもので父は現在、岩国市に法定の手続を経て居住しており母はその所在不明である、申立人等は終戦直後母に伴われて父の郷里である朝鮮慶尚北道聞慶郡籠岩面宮基里に引揚げた。父は家の始末をして引揚げる予定であつたが日本と朝鮮の交通が出来なくなつたのでやむなく日本に居残つた。かような事情で申立人等と父との連絡は絶え、仕送りを受けることが出来なくなつたので母は日稼労働をして申立人等を養つて来たが朝鮮動乱後いよいよ生活が苦しくなつたので昭和二十八年秋頃申立人等を同伴、日本に密入国して父を探し当て同居するに至つた。昭和二十九年春頃密入国の事実が発覚し母は検挙、起訴せられ山口地方裁判所岩国支部で六月の体刑を求刑せられたところ、判決宣告の直前である同年五月十八日頃逃走して行先不明になり今日に至つた。申立人等は昭和二十九年五月二十一日出入国管理令第二十四条第一号違反容疑の下に身柄を父の許から下関に移送、収容され審査、口頭審理、法務大臣に対する異議申立の手続を経た後昭和二十九年七月十四日附で被申立人から出入国管理令第二十四条第一号該当者として退去強制令書を発布され同年七月二十四日大村入国者収容所に移され近く便船あり次第韓国に送還されることになつた。申立人等は未だ幼年者であり教育も十分受けていないので智能程度は非常に低く事理に対する判断力も十分でないので前叙収容後の審査、口頭審理、異議申立、等において審理の内容、結果、これに対する処置等を了解することができない。法務大臣に対する異議の申立も申立人等がなしているが申立人等において十分これを理解していたものとは思われず全く形式的に事務を処理されたものとしか考えられない。申立人等に対してなされた前叙強制送還の行政処分は形式上過誤なく手続が行われているとしても、申立人等のような意思無能力者を審理の対象者としこれに対しなされたものであるから当然無効である。申立人は現在韓国には身寄りもなく扶養してくれる者もいないので今韓国に送還されると路頭に迷い餓死する外はない、父は二十数年来日本に居住し現在金属回収の正業を営み子女の養育には事欠かない資産を持つている。申立人等はこの父の許で育てられ本邦に永住しようとするものである(出入国管理令第四条第一項第十四号及第十五号)。前叙の事由で申立人等は被申立人がなした退去強制令書に基く強制送還処分の無効確認を求める本案訴訟を山口地方裁判所に提起したがその審理には相当の日時が必要であり他方強制送還処分の執行は本案訴訟の提起に拘らず行われることになつているから若し今日韓国に送還されると、後日本案訴訟において有利な判決を得てもその効なく、申立人等は回復することのできない損害を蒙ることになる。よつて右本案の訴訟の判決が確定するに至るまで前記退去強制令書に基く執行中収容の点を除き送還の執行を停止する旨の命令を求めるため本申立に及ぶ」というのである。

よつて按ずるに申立人等から前記本案の訴訟が当裁判所に提起されたことは当裁判所に顕著であり申立人等に対し申立人等主張のような退去強制令書の発せられていることは疎明されている。しかし申立人等に対する退去強制令書の無効が確認されれば更めて審査をやり直して貰うことができ更に進んで法定の手続を履んで行けば申立人等の念願するような父の許で養育され本邦に永住することが許されないとも限らない。しかし若し申立人が右令書を執行されることになれば償うことの出来ない損害を蒙ること、それを避ける為には緊急手段を講ずる必要があることは本件記録に徴し明である。

以上の理由により本件申立は理由ありと認め主文の通り決定した。

(裁判官 河辺義一 藤田哲夫 野間礼二)

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